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戯曲の講読、上演許可の連絡などは office白ヒ沼 までどうぞ。
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新しい年。なにか、なんとかすこしでも、できないか、と。考えて。
私は市民意見広告運動、っていう紙上のデモに参加することにした。
今年はいよいよ正念場じゃないかと思う。
息子を、戦場に送ってはいけない。
娘を、恋人を戦地に送って泣く女性にしてはいけない。
すべての国のおっちゃんおばちゃんをそういう父や母にしてはいけない。

このデモが盛り上がることを祈っている。大勢の参加を、祈っている。








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つまり、年明けのインドネシアでの上演も迫っているのだ。
国境を越えた生活者の感情の連帯が、実現する。
というような大げさな、いやしかし決して大げさだとばかりも言えない共感へむけたチャレンジが始まるのだ、と思いたい。思っている。思おうよ。思うぞ。
きなくさい愛国心やら愛国教育やら、近隣他国民への排斥意識やら、そんなものがじわじわと政府も加担してつのってきているこの国の現在。私たちが庶民のレベルでできる有効な非戦への試みは、政府経由ではなく、直接国境を越えた友人とつながることだ。共感があれば、友達がいたら、銃はむけられない。インドネシアの若者もさみしさにもだえるのなら、日本の私たちの息子たちと友達だ。
外国の兵士も、だれかどこかの母親の息子なのだ。うちの息子の母親がそうなりたくないように、かの地の母親も、悲しむのだ。とても。そういう当たり前の感覚を、共有しよう。そのための、戦略、そのいち。







つまり年明けの京都での上演も迫っている。
街の風景がかすんでいて色あせている。このDMの部屋のスケッチはだれかスタッフ、出演者のだろうか。現実感阻喪の症状のようで、京都の街、私の部屋、……だけどほんとに私のだろうか、って考えてしまうような不思議な時間、だろうか。
私には懐かしいあの街がこの劇世界を通してみる風景のようになっているのかもしれない。なんのへんてつもないこの部屋が非日常の異空間にばける芝居が、きっと実現するのだ。

いま、多くの若者が、時代の悪臭を察知するカナリアのようにかすかに悲鳴をあげている。
時代の悪臭は、おおきな資本の支配する度合いの増加、支配される多くの人々が声をあげなくなっている現実の力関係によって生まれているのだと私は考える。
この時代をどう考えるか。そういう刺激になる作品が産まれたら、素晴らしいなと思う。





選考会、発表会が大阪であった。
街はいそがしく、本の読み方はまことに幾通りもある。考えた。考えて読んで、話した。聞いた。











私の書いた「ともだちが来た」を上演してくれる団体がある。
しかもインドネシア語に翻訳した台本で、だ。
国境を越えて、ある人間観察を立体化しようとする人がいて、そこに客がいて、きっとなにかどこかに共感を覚えてくれるようなことがきっとあるのかもしれないと思うと、私はやっぱり感慨がある。こんなことがあるたびに、やっぱりいいんだ、って感激がある。
国境というのはやはりあとから人為的にひかれたもので、人のこころには関係ないぞ、と思うから。
人が人のことをなにかどうにか理解しようとする気持ちには線を引けない。
いい上演を祈ってる。ジョグジャカルタで、京都で、この世界のあちこちで。













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