戯曲の講読、上演許可の連絡などは office白ヒ沼 までどうぞ。
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
最新コメント
最新記事
(02/08)
(01/24)
(01/23)
(01/17)
(01/10)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
白ヒ沼
性別:
非公開
ブログ内検索
フリーエリア
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
1月31日、もうひと月前になってしまうが、もとドイツの大統領、ワイツゼッカー氏が死去した。戦後40年にあたる1985年5月に連邦議会で有名な演説をした人だ。「過去に目を閉ざすものは現在に対しても盲目となる」。ドイツは、この演説に象徴されるように、徹底して過去と向き合って、戦争責任、加害者責任の追及を行ってきている。
じゃ日本は?過去に目を閉ざしている、と言っていい状態にすでに近い。日本国内には、戦時に中国人を、朝鮮人を、強制連行して働かせた跡地は、たくさんある。なのに、一軒も政府がきちんと残す施設などつくってはいない。私はドイツ旅行をしたときにダッハウという町にあるユダヤ人強制収容所のあとを残した施設に行ってきた。なまなましい大量虐殺の証拠が、しっかり残されている。加害者たるドイツの国民が、「残そう」と決意したことがあるからで、そういう側面から見るとその行動はとてもすがすがしいとも言える。しかし日本にはない。京都府中部に、「丹波マンガン館」というものがあった。マンガン鉱の跡地だ。そこで多くの朝鮮人が強制連行して働かされていた場所。被差別部落の人が最下層の朝鮮人をさいなみ、その被差別部落の人を一般市民が差別していた、という重複する構造の醜い差別の強い国、日本。その坑道の跡地を保存して公開しつづけていたは、実際にそこで働いていた朝鮮人の人だ。政府も自治体もなにも協力のない中、個人的な努力で維持されただけだ。とても悲しい話だ。
日本国民が選挙で「一切歴史を残すことに協力しない」という姿勢の議員を選びつづけるからだ。他人事ではなく、私たちのことだ。日本の国民は、自分たちの加害の歴史を、残さないといけない。それが、次の加害をくいとめる。そういうきもちいい青年のような国に、いつかかわろうじゃないか。
そんなことを思う。
にょきにょき立派なビルが立ち並ぶから立派な国なのか?
精神のすがすがしい広い空。あこがれる。
福島原発告訴団は、この1月に、東京電力や経済産業省の原子力安全・保安院の関係者らを業務上過失致死傷罪のかどで、刑事告訴・告発した。私もその告訴・告発人に参加する。
2012年告訴は、東京地検が「不起訴」→検察審査会に申し立て→検察審査会が「起訴相当」→東京地検が再度「不起訴」という経緯をとっている。検察は告訴団が提出した新たな証拠には触れず、強制捜査をすることもなく、職務を放棄したと言ってもいい。
今回も新たな証拠が提示されている。その一つを取り上げても、十分責任者は起訴され、処罰を受けるべきものだ。
以下、呼びかけ文より抜粋する。
――2010年、福島第一原発3号機では、「ウラン・プルトニウム混合酸化物燃料(MOX燃料)」を装荷する「プルサーマル発電」が計画されていました。保安院の森山氏と名倉氏は、2009年に東電から、試算した津波高が8~9メートル(土木学会の計算方法では12メートル前後)になるとの報告を受けていながら、対策を講じるよう指示しませんでした。森山氏は2010年に名倉氏らに送った電子メールの中で、保安院が実施していた「耐震バックチェック」が終了すれば東電に津波対策を指示せざるを得ず、そのあおりでプルサーマル開始にも影響が出ると示唆。プルサーマル開始を優先するため耐震バックチェックの終了を先延ばしにいているうちに大震災に遭い、大事故に至ってしまいました。――
ほんのこれは一部だ。
過去の事件に対して刑事罰を与えることだけに意味があるのではない。このようなひどい職務を、権力側の人物がやると、次も罰せられる可能性がある、と当事者たちに不安を与え、軽々しくひどい仕事ができなくなるようにすること、「未来への歯止め」に、意味があるのだ。多くの人がこの運動で怒っている、と示すことが必要なのだ。
権力の側にいる職員は、ひとりとしては基本的には弱い臆病者だ。自分が個人的に罰を受ける可能性がある、ということを知っていたら、おかしなことはしない。実際に先輩が痛い目に遭ったら、誰も彼に強要はしない。ハンコを押す、ということには役人は実に臆病なものだ。私は数年間だけ役所の中にいた。劇場をつくるとか稽古場をつくるとかつぶすだとかのたびに役所とはやりあった。私は感覚的に彼らの臆病さがわかる。ただ、このような政治的な圧力が明らかな部署では、「ぶあつく権力が守ってくれる」と承知していれば、ハンコは押す。役人は保身のためもあって、自分の良心に目をつむる。圧力に唯々諾々と従う。安心してひどい仕事ができる。そのハンコのむこう側に、命が数万人存在していることなど忘れる。何世代もの先祖たちの労力で切り開かれた土地が存在していること、重みに鈍感でいられる。役人たちに血の通ったハンコの使い方をさせるのは、悲しいけれど社会、世界の力関係なのだ。民衆が、強く常に意思表示すること。これが彼らを支える。だから、この運動は、役人たちのための運動でもあるのだ。
告訴・告発にみんな参加してほしい。
詳しくは以下のブログで。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/