戯曲の講読、上演許可の連絡などは office白ヒ沼 までどうぞ。
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9月9日に、 私の書いた「ふるさとを捨てる」を海部高校演劇部が、文化祭で上演してくれる。体育館ステージで、お客さんは海部高校全校生徒・職員・希望する保護者・地域の方々だ。
顧問の先生からいただいた連絡を要約すると、
――徳島というと、福島から遠く離れているようだけれど、徳島県南の海部という土地はいざ南海地震が起こると、最も被害の大きい場所のひとつ。約十年前には、県境を挟んで隣町の(車で15分ぐらいの)高知県東洋町には、使用済み核燃料の最終埋立施設が建設されようとしたこともある。結局、サーファーを中心とした反対運動と住民投票によってその計画は中止となったけれど、部員達のなかには、その東洋町出身の者もおり、幼いころの鮮明な記憶として、計画が起こってから中止にいたるまでの大混乱を心に刻んでいるのです。つまり、彼らには福島の現実が他人事とは思えないらしい。自然の偶然で、もしあの地震が南海地震だったら、あの計画が推進されていたとしたら……今、この戯曲に描かれていることは、まさに彼らの現実となっていたでしょう。それでも、まるであの昨年の悲劇がなかったかのように、特に西日本では、日々の生活が営まれている。そのなかで、この戯曲に描かれているような福島の現実を、ぜひ学校のみんなや地域の人に、この劇を通して伝えたい、と部員達は言っている。――
私も夏、里帰りで関西に滞在したときの西日本の空気はそうだった。東日本のいまだって、事故直後の切迫した空気は確かに薄れている。事故があった原発の事故はまだ収束しておらず、原子炉の中がどうなっているのか把握すらできていないままであるにもかかわらず、放射能はまだ垂れ流されているに状態であるにもかかわらず。政府、大企業とマスコミが一体となって進めようとしている忘却を促進させる動きに、無意識でいると流されてしまいそうだ。庶民は逃げられない。特権的なお金持ちと権力者はこの土地を、国をだいなしにしてもいいらしい。少なくとも、ここ数年のことしか考えていない。十年、二十年、百年、その先のことを思えば、原発を再稼動するなどありえない選択だ。原発依存度ゼロ以外に選択肢などないはずだ。消費税率アップなどもありえない。
自民党でなく、民主党でなく、そうした富裕層の政党でなく、われわれはわれわれ庶民の、一般市民の、大多数・九九%のための政党を政権につけないといけない。そう熱く思う。
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