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https://www.youtube.com/watch?v=Zu42vAQFtqA
1月15日、ウイングフィールドでの上演2ステージを行う前に、無観客の状態で3カメラを設置して撮影した映像です。
照明も本気、演技も本気でやってます。寿工房さんの強力な協力を得て、すばらしい画質のものができました。
どうかたくさんの人に見ていただきたいと思っています。
そして、これが、部会長、福井県教育委員会のいうように、「差別語を使ったよくない上演作品」といえるのかどうか。実際に、自分の目で、耳で見て、判断してくださいませ。一人一人の方が、自分で感じて、自分で判断してほしいのです。そのために、私たちは公開します。
社会のことを、未来のことを、率直に考え、語る作品です。
率直だから、現在の福井県の政策を批判する内容も含んでいます。現在の日本政府のすすめる原発政策についてはそりゃ、批判的です。福井県選出の現役国会議員の親族の失言もおもしろおかしくとりあげています。福井県の権力者におもねりたい人には「ほら。ぼくこんな奴ら消してやったよ」って上の方むいて報告したくなる作品だったのかもしれません。
作品を見もしないで、読みもしないで顧問会議の教員たちは決定しました。権力者に忖度した決定のまえで沈黙する態度を続けています。いま、高校演劇全国協議会の幹部たちも、日本劇作家協会の運営委員会の人たちも、ほとんど作品を見もしない、読みもしないまま、沈黙を守っています。
こんな素朴な作品が、排除されるという時代。その排除を、権威ある団体、日本を代表する表現者の組織までが見て見ぬふりをして、許してしまう時代。そんなおそろしい時代に、また今、まいもどってしまったということなんでしょうか?
皆さんで映像を見て楽しみながら、現在、という時代を感じてほしいのです。これが、いま、です。
鈴江俊郎
東京のシアター風姿花伝という劇場で、まもなく上演される。
https://www.kotonoha-box.com/16th
このコロナの激しい蔓延の中でも、懸命に上演にむけてがんばってる若者たち。
芝居は、この国の教員たちがどんなにきびしい状況を生きているのか、おもしろおかしくはあるけれど、決して希望ばかりではない……という風景を見せる作品だ。
いま私が闘っている表現の自由にまつわる「ハナコ」の事件のことは、この状況とおおいにかかわりがある。もう10年以上も前に、原案を北九州の教員の方が書いたものを、私がたくさん書き足し、書き直して完成させたものだけれど、状況はちっともよくなっていない。それどころか、深刻になっている。
それを思うと、劇は、またちがった感想が持てるのかもしれない。
大阪・心斎橋はウイングフィールドでの上演が、無事に終了しました。
ますますさまざまな人たちとの出会い。さまざまな人たちが学習会では発言され、さまざまなメディアの方に取材を受け、私たちはますますしっかり心強く、しっかり気持ちを受けとめて、芝居を終え、話し合う場を終えることになりました。
私たちは今回のこの上演を動画撮影しました。しっかりとyou tubeに公開しようと思います。
この作品が、どれほどか、「禁止しないといけない作品」と見えるのか、しっかりと世界中の人に見てもらいたい。そして、その目で、「禁止はふさわしいのか」を確かめてもらいたい。そして、なにが起こっているのか、認識してもらいたい。そして、この事態になにをしたらいいのか、自分の問題として考え始めてもらいたい。
そう思っています。
そして、福井県の、演劇部の高校生たちに、この大人たちが大人げなく訴えている様子を、見てもらいたい。けっして見栄えのいい大人たちの様子ではないでしょう。大きな声でのどをからして。床をころげまわって。汗をかいて、小道具につまづいて。けれど、私たちのような大人がいることを、想像上の生き物なんかではなく、はっきりとしっかりと、いま、ここにいることを、感じてもらいたい。ありありと。きみらのやった演劇は、間違ってはいない、と主張して身を張ってうごく大人の様子を、目撃してほしい。君らの演劇は、君らの表現なんだから、尊重されるべき価値があるのだ。そう私たちは確信しているからこそ、上演したのです。わざわざ、それを訴えたくて、福井だけじゃなく、愛媛や大阪まででかけたのです。そして、それを見たがる大人たちもいて、だからやったのです。見た人たちは、まちがいなく、「これは、まちがっていない」と感じたのです。くちぐちにそう言ってくれたのです。これを禁止した大人たちの方こそ、どうかしている。そう口々に言ってくれたのです。自信を持とう。あなたたちの表現は、すばらしく、価値のあるものなのだ。傷ついたあなたたちは、決して傷つかなくてよかったのだ。傷つけたほうが悪い。傷つけた大人たちが謝るべきなのだ。
そして、福井県の顧問会議の教員のひとたちにも、見てもらいたい。きっと上演会のことも、学習会のことも気にしていながら、教育委員会からの監視がこわくて見にもこれなかったあなたたちに、見てもらいたい。ネット上ならこっそり見れる。こっそり見たらよろしい。そして、自分がなにをどうしたらよいのか、子どもたちを傷つけたままにしている自分は、なにをなすべきか、考える時間をもってもらいたい。考えるくらいは勝手で自由なのだから、そこは考えてもらいたい。
問題は、ちっとも片付いていないのです。大人たちが自分たちの都合で平和な様子でいられたらそれでいい、と思うのは勝手な都合で。
片付いていない、と考える人たちがまだこれからも動きます。私たち以外の上演の動きが次々と起こります。
日本語だけでなく、英語でも、上演は始まります。
ウイングフィールドの熱がさめやらぬ、今週末、はやくも大阪、梅田のすぐそばの中崎町で、さっそくドラマリーディングは行われます。冬のあいだに富山で。そして次へ、次へ、と計画が発表されるでしょう。
禁止した大人たちが心配したような、運動に立ち上がったわれわれが、ネットでバッシングされて大けがするような事態は、まるっきり起こってません。上演した張本人の鈴江俊郎、玉村徹は、堂々と運動しています。堂々と胸を張って、自分の権利を主張する者には、小心者のネットサディストたちは小心だから手を出せないのです。そしてむしろ、自分の権利を主張する者には、おおぜいの賛同者が身を守ってくれます。大勢の人たちに支持されて、私たちはあったかい気持ちです。
運動は、さらに、広がるでしょう。禁止する側の大人たちが言う「さわぎ」はまだまだ続きます。けれどこの「さわぎ」は、日本国憲法にもきちんと書いてある、権利を守るための「国民の不断の努力」なのです。権利をおかされてもだまって平和を優先する、その平和、平穏は「奴隷の」平穏だと、私は考えます。私たちは奴隷じゃない。
そして、権利の侵害を前にして自ら率先して黙ろうとするそのようすを、「全体主義」の態度だ、というのです。全体主義、ファシズムは、けっして上からの権利の押し付け、強権だけでなりたつものではありません。日本でも、ドイツでも、イタリアでも、すすんで権力に迎合した民衆の側の動きが、つくったのです。大衆の支持があったからこそ、ファシズムができあがったのです。
いま、私たちの時代は、たいへんまずいことになっています。いま、私たちは忖度、沈黙がここまで進行していることを身をもって体験として知りました。もはや空気を読んで、同調して、黙っていてはいけない時期です。大きな船がけっこうなスピードで動いていると、エンジンを止めただけでは簡単に止まれません。気が付いた時にはすでに遅いのです。
私たちは、いま、ひとりひとり、問われています。
私たちは、まだまだ「さわぎ」ます。
このさわぎに、大勢の人たちが参加することを、よびかけます。
学習会に来た人たちに、私はお願いしたのだ。
「この作品のドラマリーディングを、あなたの手でやってください」と。
演劇人でなくてもいい。上手とか下手とか、本来、演劇は関係ないはずなのだ。
思いがあれば、それが感動のもとだ。
小さな会場ながら、というより、小さな会場ならではの思いっきりの舞台美術の作りこみ。照明のこりっぷり。福井での2上演とはまったく様子のちがうスタイルでのリーディング上演になりました。楽しんじゃった。スタッフたち。
そして、来ていただいたみなさん、ありがとうございました。
学習会。徳島県の高校教員の方が会場から発言してくださったことが、とても印象に残っています。 「自分たちの顧問会議で、同じようなことを言い出されたらどうしよう、って考えた。ぼくらだったら、全部の学校ひくだろうな、と。」
演劇部の顧問の先生たちでした。いわば同僚です。つまり、「この学校だけ放映しないことにさせようぜ」と部会長に言い出されたら、一般の顧問教員としては、どうできたろうか…。「おう。だったら、全部の学校放映しないようにしましょうよ。その差別は全くおかしいぜ。一校だけじゃなくて全部の学校がボイコットだ。」と言い返そう、という提案です。 自分が同じ立場の教員だったら、そして、そんなことはいつでも起こりえるとして、どうしたらいいのだろう………とひとごとにするのじゃなく、自分の身に置きかえて、まじめに考えてくれたのだと思います。
まずその想像してくれる姿勢に感謝。そして、そのアイデアがあったはずだ、とは、私にも思い浮かんでいなかったのです。
そうか。そうだよね。
部会長がどんなとっぴょうしもない差別的な言動をしたとして、そしていったん私たち顧問教員たちが一瞬けおされてひるんだとして、そして部会長が言い出したら聞かない人だったとして、そしたら私たち一般教員はただだまって圧されてなすがままに決められるほかなかったのだろうか、いやいや。あるはずなんだよ、抵抗する手段が。そんなことを思うひとが、徳島にはいるのです。
その方が続けておっしゃっていたのは、「差別用語の使用が差別かどうか、って問われてるようですが、このケースを見ていたら、この決定以降の部会長側、教員側のやってる処理のほうがよっぽど差別行為、人権侵害ですよね」。
その後、顧問教員たちにかん口令を敷いて、一切の証拠隠しを徹底した部会長側のやりくち。我々実行委員会の行った上演・学習会を見に行こうとした生徒を何度も呼び出して「行くな」と取り囲んで迫ったやりくち。一校だけ差別扱いしたことを正当化して放映に関しては、あくまでも差別扱いをやりきった、貫いたやりくち。
このあたりの事実は、隠しても隠しようがなく、そのうちもっと明確に反人権的なプロセスが明らかにされるでしょう。
そして上演活動は、ますますひろがっていくでしょう。私たちのもとに上演依頼はいくつもきています。そして、英語訳した台本、ウエブサイトの威力はそのうちじっくり効いてくるでしょう。動きは長い時間かけて、ことをおこした部会長側を苦しめることになるはずです。福井県当局をとりかこむ事態がこれ以上世界に恥をさらすことになる前に、当局の責任ある人物は早々に「人権侵害を行いました。」「ごめんなさい。」「もう二度としません。」と意思表明することを、心からお勧めします。
上演会、学習会を重ねるたびに、私たちは自信をつけます。いろんな人との出会いがあって、私たちは、世界は思っていたより、ましなもんなんだ、と力づけられます。
私たちが上品芸術演劇団の活動として、もとは帽子屋さんだった空間を、壁をくりぬいて、天井板を外して、ぜーんぶ真っ黒けにぬりなおして、電気の配線を根本的につくりかえて、うまれかわってできた■Ishizuchi倉庫 が、大活躍なのです。それがまた、うれしい。そういうことを許してくれたオーナーのことがうれしい。きっとオーナーもこれをうれしがってくれてる。彼は今回、初挑戦の照明オペレーターだったのです。
自分たちでいちからこしらえた小さな空間だからこそ、その充実感や達成感は、たまらんものがあります。みんなにおすすめしたい。
いまやいろんな地方都市にいろんな閉めた店やシャッターの下りた商店街があるんだけど、それはピンチみたいだけど、チャンスなんです。いちから生まれ変わらせるのは、たーのしーーぞ。やった人なら知ってます。
いちから小さな世界をかえるのは、それこそが、演劇の力だ、と感じます。金の力なんてなくても、みんなが、数人集まって、顔を真っ黒にする気合だけ共有したら、世界は、きっと、小さくかわります。そして、きっと、それがあちこちで生まれ、集まったら、世界は、きっと、おおきくかわります。imagine、ってジョンレノンの歌は、なんだかきどっててやだなとうたが発表された当時は思っていたおじさんですが、いまは、そうだよなあ。と演歌に納得するおじさんのように心の支えにしてしまっていて。imagine。想像すれば、世界は、かえられる。
どうしたら小さなたのしい倉庫の空間がつくれるか、私たちの経験なら教えられます。ノウハウばっちりよ。