戯曲の講読、上演許可の連絡などは office白ヒ沼 までどうぞ。
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北海道、北見という街で、私の作品を上演してくれる劇団がある。
「劇団 動物園」だ!
「現実はきびしく私たちは若い けれど要求は唐突で思い切るという手もあるかもしれない」という長いタイトルの作品。
自称『鈴江作品上演北海道№1劇団』とおっしゃってくれる人たち。私も三年前の演劇ユニット昼ノ月の旅公演で訪ねたときの鮮烈な記憶が、まだなまなましい。きっといろいろと劇団というのは苦労がつきもの、二年前の単独公演が鈴江作品で、二年ぶりの今回の公演が、様々な障害を乗り越えて再び舞台に取り組んだ今、また鈴江作品からこの人たちは動き始めてくれる、というのだ。此度も鈴江の魂(作品)に劇団動物園の想いを乗せて疾走してくれるというのだ!!
この台本の人物と同じように孤独と孤立を感じないではいられない鈴江。戦争に対する感覚も、拡大しつつある原発被害への感覚も、世界はどんどん私から遠ざかる。そんな感じにさいなまれる。ああ。北見でそんな私の孤独を慰める芝居が上演される!そんなうれしい感情がどかん、とわきあがる。
さあ!皆さん、北見へ!北海道へ!北見の街にすごい人の波が押し寄せてしまっても、遠慮することはない。世界の変革を訴えた孤独な叫びが、オホーツクの海からはっせられるのだ!
2011年10月22日(土)、23日(日)、29日(土)
劇団動物園アトリエにて。
くわしくは
http://homepage.mac.com/nyaruha/bane/
まで。
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雨がほうきで軽く掃いたみたいに通り過ぎた。
間があって、
いままた降る。今度は長く降っている。
近所の倒れた桜の木はいま切り株になって、その雨をうけている。
頂上にいると、みるみる天気がかわった。
晴れたのは一瞬。
下から見上げても今やまのてっぺんは見えないのだろうなあ。
ひさしぶりにまた山に登った。
ぎりぎり音を立てそうな頂上の山の形。
漢字ではかけないような難しい名前の山は、でものぼりきると難しくない表情で、そこにいた。
三月に、名古屋で演出をする。
AAF戯曲賞の佳作入選作だ。
二人芝居。「どこか行く舟」。ことばがわかりやすいのと裏腹に人間の感情が繊細にふるえる、すばらしい作品。脚本のすばらしさは、ちょっとここ数年どんなジャンルの芝居でもであったことのない水準だ。それだけに私は緊張している。
開き直って、いやなかなか開き直れない臆病な気持ちを奮い立たせて、挑戦する。
脚本にはない「街の人々」が往来する場面を作るつもりでいる。作品のどこがどう変わるか、それによっては全体の印象も大きく変わるだろう。やるぞ。やるつもりだ。
その力になってくれる役者さんたちを募集している。ぜひ。ぜひ。このチラシに書かれているとおり、「演劇の役者です」って自分のことを思っていない人も大歓迎なのだ。むしろ、そうでない人たちと私は出会いたい。表現とはなにか、という問題を新鮮な目で自分が見つめるために、場を、新鮮なものにしたい。「なにしてるんだろう。いまこれ。」と不思議そうに見つめる視線が稽古場にほしい。ともすれば気のあった仲間だけで、自分たちだけで分かり合える符丁の演劇用語のくわしさをきそいあったりする、そんなそこはかとない社交的な雰囲気、そういうものから自由でありたい。
そして、多くの、演劇なんて興味もないし見に行ったこともない、という人を客席に招き入れたい。もともとは演劇なんて興味もなかった十八歳の私が衝撃を受けたああいう体験を、ぜひとも、皆さんに提供したい。とおこがましくも思ったりする。
稽古は年明けから始まる。勝負だ。
皆さん、どしどし応募してください。
くわしくは
http://www.aac.pref.aichi.jp/sinkou/news/10aaf_aud2/index.html
まで。
AAF戯曲賞の佳作入選作だ。
二人芝居。「どこか行く舟」。ことばがわかりやすいのと裏腹に人間の感情が繊細にふるえる、すばらしい作品。脚本のすばらしさは、ちょっとここ数年どんなジャンルの芝居でもであったことのない水準だ。それだけに私は緊張している。
開き直って、いやなかなか開き直れない臆病な気持ちを奮い立たせて、挑戦する。
脚本にはない「街の人々」が往来する場面を作るつもりでいる。作品のどこがどう変わるか、それによっては全体の印象も大きく変わるだろう。やるぞ。やるつもりだ。
その力になってくれる役者さんたちを募集している。ぜひ。ぜひ。このチラシに書かれているとおり、「演劇の役者です」って自分のことを思っていない人も大歓迎なのだ。むしろ、そうでない人たちと私は出会いたい。表現とはなにか、という問題を新鮮な目で自分が見つめるために、場を、新鮮なものにしたい。「なにしてるんだろう。いまこれ。」と不思議そうに見つめる視線が稽古場にほしい。ともすれば気のあった仲間だけで、自分たちだけで分かり合える符丁の演劇用語のくわしさをきそいあったりする、そんなそこはかとない社交的な雰囲気、そういうものから自由でありたい。
そして、多くの、演劇なんて興味もないし見に行ったこともない、という人を客席に招き入れたい。もともとは演劇なんて興味もなかった十八歳の私が衝撃を受けたああいう体験を、ぜひとも、皆さんに提供したい。とおこがましくも思ったりする。
稽古は年明けから始まる。勝負だ。
皆さん、どしどし応募してください。
くわしくは
http://www.aac.pref.aichi.jp/sinkou/news/10aaf_aud2/index.html
まで。