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また、日本劇作家協会会長の坂手洋二氏からのメッセージも紹介された。
お二人のスピーチは下記の通り。

■15:00(午後の部 )リンカーンセンターシアターの劇場監督、Andre Bishop氏
本日はお忙しいところをお越しいただき、有難うございます。
一年前のこの日、多くの方々の命が奪われました。その方々への思いを胸に,しばしの黙祷をもちまして本日のプログラムを始めさせていただきたいと 思います。(黙祷)
私達は皆今日、ここニューヨークに、そしてアメリカ中至るところで、 共に協力するという意思の基に集まってきました。これは全く前例がなく、驚くべきことです。前年の春より、ニューヨークの12以上もの劇場が時間と資源を捧げ、力を合わせてこの日を実現させようと動いてきました。 このとても立派で、歴史の重みを感じさせる劇場は、 私達の今日のイベントの為に、クーパーユニオンから寄付していただきました。今日こうして私が話している間にも、国中の劇場が観客を集めて、自分達各自の震災イベントを行っております。アメリカと日本の特別に秀でた劇作家が戯曲を贈り、私達もここにニューヨーク中が羨むようなずば抜けたプロダクションチームと優れた役者達を集めました。皆、 自分の時間と 芸を惜しみなく捧げて くれました。彼らの名前は皆、プログラムに載っています。商業演劇分野の仲間達は、今日のイベントにかかった費用を担うスポンサーとなってくれました。ドラマティスト ギルドファンドは、 アーティストからアーティストへと送られる日本劇作家協会への送金方法を準備する為、早くからチームに加わってくれています。この寄付の情報はプログラムの2ページに載っていますので、今日のイベントが終わりました後に、どうかお友達に送ってあげてください。ギルドのウエブサイトでは6月1日まで寄付を受け付けています。今日皆さんが購入してくださったチケット収入は全て日本のアーティストに直接届けられます。
さて、これは日本にとってどういう意味があるのでしょうか?
東北のアーティストの声を聞いてみましょう。
(ここで、昼の部では岩手の劇作家、こむろこうじ氏の言葉が紹介されました)

■劇作家 こむろこうじ氏の原稿(原本)

「忘却と共に過去という分類に属しつつある3.11」

復興が進んでいる。
しかし、それ以上に震災の風化が加速度的に進んでいる。
何かにとり憑かれたように被災地にやってきたアーチストもボランティアも、震災前がそうだったように顔を出してくれなくなった。
人の数も少なく、お金も無い。都心部からはかなりの距離がある。そんな土地である、東北三陸沿岸部…。
縁もゆかりも無い、心がまだ元気を取り戻してはいない人のために、莫大なお金や時間を浪費する…。そんな人が、世界中にたくさんいるのならば、貧困や紛争ももっともっと解消していくに違いない。
そんなことはわかっている。わかってはいるが、あんなに駆けつけてくれたたくさんの人たちに、忘れられ、過去の存在になってしまいつつあることが、とても哀しく感じてならない。
 時は人々の心を癒してくれる。しかし、時は、まだまだ痛みを持ち続けている人をも過去の存在へと押しやってしまう。
 世界のどこかで、大きな紛争や災害がまた発生すれば、まだまだ復興途上の日本の三陸沿岸は、3.11という歴史として過去というテリトリーに刻まれる存在になってしまうであろう。
 街が消え、人が消え、文化の火が記憶の忘却と共に静かに消えようとしている。

 (スピーチ原稿の原文にはありませんが、この後、「文化の火を消さず、忘却しないために」ということを言って下さって、大きな拍手の中で、SHINSAIのリーディングは始まったと記憶しています。)

■20:00(夜の部)パブリックシアターの芸術監督、Oskar Eustis氏
 (※ 前半は、Andre Bishop氏からも紹介された、このイベントの趣旨と経過でしたので、割愛させていただきます。夜は、日本劇作家協会会長の坂手洋ニ氏からのメッセージが読まれました。)

 ここで、日本劇作家協会会長の坂手洋ニ氏からのメッセージを読ませていただきます。

■日本劇作家協会会長、坂手洋二氏のメッセージ
 3月11日は私の誕生日だ。
 東日本大震災、それに伴い起きた福島第一原発の非常事態。自分たちがたんに「被害者」であると考えることを、私は避けてきた。「3月11日を、私の、否、私たち日本人の、二度目の誕生日としなければならない」と思ってきた。だがそれは、自分で自分たちの新たな生き方を、見つけ出せればの話である。
 あまりにも早く一年が過ぎた。
 この一年間、数日に一度は、誰もが気がつく程度の「揺れ」があり、私たちはそれを、「あの日」の「余震」である、という感覚を持って受け止めてきた。私たちの意識はいつも「あの日」に戻る。
 私たちにとってまだ「あの日」は終っていない。ではいつ終わるのか。学者たちや政府が指摘するように、まもなく来ると予測されている、あの日の衝撃に劣らない「次の大きな震災」が来るその日まで、私たちは「あの日」の延長を生きているのだろう。
 私たちは、「あの日」以来、放射能による「目に見えない汚染」に晒されている。私たちは、この事態に対して正しい対応ができているかどうか、自分たちの国を監視しなければならなくなっている。例えば、日本政府が小児を対象に設定した「外部被爆のみで年間20ミリシーベルトまで許容」の基準がおかしいということを、私たちは強く指摘し続けてきた。
 津波の被災地で「この風景は、空襲との違いは人が焼けていないだけだ」と言う高齢者がいた。今回の出来事はおそらく日本にとって、江戸時代から明治時代へと転換する開国、第二次世界大戦後の変革に続く、大きな「変化」であり、私たちはその渦中にある。
 東北在住の演劇人たちは、自分の場所に踏みとどまり、地域と演劇の関係を洗いなおし、平常心を保とうとし、表現を続けている。例えば、津波から命からがら逃れ、一時は自分の家に住めなくなり、強いショックを受けて創作活動を停止していたある劇作家は、最近、被災地の子供たちと震災体験をもとにしたミュージカルを上演するほどに、ようやく回復した。
 赤十字や日本政府による復興支援のお金は被災地に届いてはいるようだが、そうした被災演劇人たちの演劇活動そのもの、稽古場さえ不足している演劇創作の環境整備、困難を極める作品制作じたいに対する補助はない。ダイレクトに演劇人に届く今回の援助は、そうした「現場」、演劇人の生活と活動の整備に役立てられるはずですあり、たいへんありがたいことである。私が会長を務める日本劇作家協会はその援助を被災地現地の演劇人の皆さんに届ける役割を委託されたわけだが、民主主義と人間の自由を守るために、その任務を確実に果たすことを約束します。ニューヨーク、そして全米の皆さまの厚情、友情に、心から感謝いたします。

■坂手氏のメッセージの紹介後、再び、Oskar Eustis氏
さて、私は集まった劇場のひとつの芸術監督にすぎませんし、誰から頼まれたわけでもないのですが、個人的に、25ドルという値段で、このイベントの為にのみ 書かれたステファン・ソンドハイムの新しい歌詞や、ダグ・ライト、フィリップ・カン・五反田、スーザンーロリ・パークスの新しい戯曲を聞く事ができるというのは、とても安いのではないかと思います。さて、まだまだお話したい事もあるのですが、今夜の素晴らしいイベントが皆さんをお待ちしています。
ここで、いつもの様に、携帯の電源を切っていただくお願いをする代わりに、私は携帯を取り出したいと思います。皆様も同様にお願いいたします。そして、テキストメッセージの機能に行きます。さあ、ここで私は27138とテキストに入れます。繰り返しますが、27138ですよ。わからない場合は、プログラムの2ページ目に書いてあります! メッセージの欄に、JAPANとタイプして、一つスペースをあけてから、番号を入れます。これはたった今、私が日本に送る追加の金額です。例えば、 JAPAN 25 というようにです。そして明日、私達、あなた達と私は、打ち込んだ金額の確認の電話を受け取ります。そして、クレジットカードの情報を送った時点で、その金額はギルドを通して日本に送られることになります。
本日はこうしてお越しいただき、私達のコミュニティと共に力を会わせてくださり、有難うございます。私達は日本のシアターコミュニティと共にここにあります。それでは、SHINSAI!
(翻訳:前芝尚子氏)

午後の部はスピーチに大きな暖かい拍手が、夜の部はリラックスした笑いとやはり大きな拍手が起こり、その拍手の中に俳優達が上手から登場し、客電が消え、舞台は始まった。

全体的に俳優が非常に上手く、速いテンポの掛け合いが見事だった。英語という言語の質やリーディングというスタイルのためもあるだろうが、俳優の演技や演出も日本語で読んだ印象よりも乾いた良さがあり、笑いも多く、会場全体が暖かった。それでいてクライマックスの緊張は高く、決してウェットではないのに、言葉や感情がストレートに入ってきてドラマに引き込ませてくれる。日本の作品はみな評判がよく、終演後、観客から「日本の現実を初めて知識としても感情的にも実感した」という声もいただいた。
昼の回の最後と夜の回の最初に、この企画のためにSondheim氏が歌詞を書き換えてくれた『太平洋序曲』からの2曲の歌と演奏があったが、これは圧巻だった。「海を見ろ」
と黒船が来ることを告げるシーンの歌詞が「Great black mountain churning water(水が渦巻く黒い山)」となっていた。津波を経験した子どもたちの作文に「つなみはくろく、くさかった」という文があった記憶があり、ソンドハイム氏はそれをなにかで知っていたのだろうかと考えた。迫力あるタッチでクレッシェンドするピアノとドラムは押し寄せる津波を思わせ、海面が膨れ上がるシーンが目に浮かび、肌が泡立った。セリフも津波から逃げ惑う人々や津波による被災の事実に書き換えられ、臨場感あふれる歌とセリフで、出演者全員によって演じられた。2曲目の ”NEXT” は、まさに震災からの日本の復興を信じるように力強いコーラスで歌われ、曲が終わると文字通り、割れんばかりの拍手に包まれた。スタンディング・オベーションもあった。
 昼の終演後、講堂を出て最初に出会ったJohn Weidman氏に感謝の言葉を述べると、「これがアメリカの心です」と言っていただいたことが印象的だった。
夜の回のラスト・ソング“THE SKIN OF OUR TEETH”はOlivia OgumaとPatti Luponeによって歌われた。Pattiのソロは観客のみならず、共演者やスタッフも含めた劇場全体の空気を魅了して、このイベント全体の最後を見事に飾っていた。
プログラムの組み方も良かったのだろうが、翌日のトーク・イベントで、「全体で一つの作品のようだった」という声があったことからも分かるように、一体感のある非常にいい舞台だった。
夜の終演後、楽屋に駆けつけ、八重樫氏に通訳をしていただき、その場にいらした出演者全員とスタッフたちに感動と感謝を伝えた。それぞれの仕事の都合でこの場に来られなかった日本の劇作家たちが一番伝えたかったであろう感謝の気持ちと、昨年の4月から10回以上訪れた被災地で、優れたパフォーマンスが人々を元気づけることを見てきたひとりとして、この素晴らしい舞台と「アメリカの心」を、日本の心はしっかりと受け止め、今もなお困難の中にある被災の地の人々に伝えたいと思うと、深く深くお礼を述べた。
(次回へつづく)

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