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uranotiらし

稽古の日々は続く。
のどがかれていたのが治った。きっとちょっとは強くなったのだ。
学生たちののどが強くなるのと一緒にもう一回私も発声練習をやり直したことになったのだ。
なんだか一本一本、神経細胞の新しいつながり方が発見され、今つながった、という瞬間を目撃するような時間。いやあやっぱり稽古場はかなりそのもの自体、ドラマチックに展開している。いや、芝居自体も負けないでドラマチックに高まっていくはずだ。


桐朋学園芸術短期大学 演劇専攻・44期ストレートプレイコース・卒業公演

『純喫茶マツモト』
脚本・演出 鈴江俊郎
俳優座劇場 にて
2月19日(土)①14:00~②18:00~
2月20日(日)③13:00~④17:00~
①&④→オムライス派/②&③→ナポリタン派
1500円(全席自由)
・都営地下鉄大江戸線・六本木駅『6番出口』を出てすぐ
・東京メトロ日比谷線・六本木駅『4a出口』より徒歩3分

〓あらすじ〓
街の片隅、ビルの2階。
そこにひっそりと店を構える"純喫茶マツモト"
なぜかそこには悩める若者が集い、出口の見えない話にはなを咲かせている。
私達は生きて、
この街に存在しているのだ。そしてうまくいかないのだ。
でもたまに、寄り道してもいいんじゃないか?
"純喫茶マツモト"はどうにかなるのか?そして我々は?
皆さんのお越しをお待ちしています。

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yitirigi

チラシができた。卒業公演のチラシだ。
桐朋学園芸術短期大学 演劇専攻の卒業公演は
「純喫茶 マツモト ~青い春 僕たちの自問自答篇」。
16人の役者たちがダブルキャスト、つまり32人の役者たちと悪戦苦闘している。まるで作っている芝居の稽古場の方がドラマのような日々だ。
わめいたり叫んだり大声出したりわめいたり、要するに大きな声ばっかりだしている演出家。すっかりのどが嗄れてしまった。びっくりした。

寒い空の風。
稽古場ははだしの群れ。

akari,小さな

あけましておめでとうございます。
暗闇の中でもひっそりと心ゆたかに耳を澄ましている
そんなものに私はなりたい。
ことしこそ。

本年もよろしくお願いします。
山の中の旅館でいい感じのあかりをみかけたのでした。
umiうみ

 大阪高裁が先週、一審に続いて訴えを退けた。
 遺族が靖国神社の合祀の名簿から親族の名前の削除などを求めた裁判で、のことだ。
 亡くなった肉親を静かに弔っていた遺族のもとに、「故人を祭神として祀った」という通知が宗教団体=靖国神社から届いた。やめてほしい、と求めたら「教義で取り消しできない」と拒まれた。普通、納得がいかない話だ。しかし、判決は、納得せよ、と断じたのだ。
 これは太平洋戦争前の国家神道の時代のお話じゃない。先週の話だ。
判決は言う。
 靖国神社にも信教の自由が保障されている、と。
 遺族の主張は、合祀に対する不快な真情や靖国神社への嫌悪の感情でしかない、と。
 実は1988年に最高裁の判決があって、それを今回の判断のよりどころとしたようなのだ。その判決はもっとひどい。
 殉職自衛官合祀についての訴訟だ。殉職した夫を遺族の意思に反して、護国神社が合祀したのは違法だ、と訴えた妻に対して、最高裁は「寛容であれ」とさとしたのだ。神社の宗教活動の自由のために、私人はがまんすべきなのだ。と。
 以上は26日の朝日新聞の社説で読んだ記事だ。ひどいはなしだ。宗教団体に祀られるかどうか、を個人が選ぶ「自由」はないのだ。宗教団体のほうには勝手に人を祀る「自由」があるのだけれど。これは冗談じゃない。国の最高権力が堂々と認めている「自由」だ。
 裁判所は、どんな宗教団体にもこんな自由を認めはしないだろう。私はそう推測する。ことは靖国神社だから、護国神社だから、つまり戦死者を神として美化する特殊な装置だから、特別なのだ。仏教の団体はこんなことをしないし、キリスト教の団体にこんな自由を国家権力は認めないだろう。国家権力が国家神道を称揚し、国家神道が戦死を美化して、戦争を推し進めた。そして多くの若者を殺した負の歴史。それを反省して「政教分離」原則を憲法に定めたのが今の日本なのに、いま、また国家権力は靖国神社を特別に手厚く支持している、といってよいのじゃないか?
 裁判所、裁判官、というのはいまや三権分立どころではない。戦争国家と密着した権力擁護機関になってしまった、と言われても反論できるのだろうか?
 海はこんなに美しいのに、この海が戦死の魂を美化する海にされてしまうのはもう遠くない先だと感じる。おそろしい。皆さんはどう感じますか?


ひとつき前に、今教えてる大学の卒業生と会った。台本を書くから読んでくれ、という。おお。読んであげるよ。今どんな本読んでるの?ときく。
いや、特にこれといって。
と彼。
じゃ今までどんな台本読んだの?
と私。
いや、特にこれといって。
と彼。
そんなんじゃいい台本なんて書けないだろ。100本読んでからだよ。台本書くのなんか。
と私。
○え。そうですか。じゃ読みます。すいません。
●おお。そうしようよ。
○いつまでに読んだらいいですか?
●そりゃ、君が読める頃でいいよ。
○じゃ、来月の今日。
●え。一ヶ月で?100本?
○無理ですか?僕早く書きたいんです。書けるようになりたいんです。
●わかったわかった。じゃ来月な。来月会おう。

……で、一昨日。彼はやってきた。
100本読んだ、というリストを持って現れた。
驚いた。そんなこと、やってしまう奴がいるんだ。
愚直、とはこのことだろう。しかし、愚直は直、の一種だ。
直球が速いことはエースの最低条件なのだ。
しばらく、自分の中で流行しそうな気配がする。
「100本読もう。そしたら、」

写真はお城の天守閣から見た街。
気持ちが広くなる爽快。







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