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戯曲の講読、上演許可の連絡などは office白ヒ沼 までどうぞ。
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劇団百年イラチカ公演
「にちにちのともににちにちのたよりを」
は満席!!チケット売り切れ!
すごい!

当日券は若干でる可能性もあるようなので、みなさん百年イラチカのウエブサイト情報に注目してくださいね。当日電話して、席が空いていたら、関西から東京から……かけつけるのだ!

大丈夫だろうか。
もうほんとにいったん書いてしまった台本はわが子さながらに心配だ。
わが子だから自分で産んだのは確かだ。それはそうなんだけれど、わが子のようにいったん親元を離れたら言うことを聞かないのではないの?だいたいよそ様に預けてしまったわが子はもうまったくよそ様の子なのだ。未練を捨てよ。そしてどんなふうに見違えるように成長するのか、を楽しみにしようじゃないか。

いやそもそもその満席の客席に鈴江は座れるのだろうか。

写真は百年イラチカの稽古中の風景。
あっちでもこっちでも年配の役者は努力。努力。努力。台詞覚えは大変なのです。涙ぐましい。私も負けていられない。
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はなしあった


倉敷から帰ってきました。

あっという間の二日間。11本のお芝居。
熱くて。一言ではいえないさまざまな芝居。
一等賞を決め、二等賞を決め、中国大会に出場できる学校とできない学校を分ける、なんていうのはつらい仕事です。
そもそも演劇作品のよしあしをはかるわかりやすいものさしなどないので。
しかし、いろいろ悩んで結局順位をつけることにしてしまうのです。

やっぱり高校生とは思えないすばらしい演技をする少女がいます。高校生とは思えないすばらしい立体造形を見せてしまう舞台美術があります。それも少数ではありません。この事実に圧倒され、驚き、おびえるのです。

また見たい、必ず見たいと思わせる二日間でした。

審査員の仕事が終わったのに、一緒に関西から見にいったメンバーは新幹線に乗る前にまだしゃべるのです。あの芝居は珍しいよね、いやあれを転換20分でくみ上げてしまうのが奇跡に感じる、実は上演時間60分の緊張、というのじゃないよね、転換をあわせて80分間が始まる前から彼らは裏で張り詰めてるんだよね、……コップが汗をかいていました。
倉敷に来てます。
明日の朝早くから、高校演劇を見るのです。
県の一等賞を決めるおまつりです。その審査をさせてもらうのです。
こういう機会が楽しみで。
どうしてでしょう。
ここには人生に一回しかない時間、ってものがあるのです。
いや。もちろん、今すっかりおっさんになってしまった今日の私のこの一日も私の人生には一回しかない一日なのですが。
なんだか違うのです。時間は、人によって、その人のある人生の段階によって、ずいぶん違うのだと思います。濃さや、長さや、味が。もちろん自然科学の法則は、そうは語りません。「どんな人の前でもモノの前でも時間はものすごく平等に同じ速さで過ぎるもの」だといいます。もちろん相対性理論、とかいうレベルまできたら別なのだろうとは思いますが。
いや、そんな難しいことまで持ち出さなければ、生活している私たちの時間はそのようなもののはずなのですが、
それを疑いたくなる時間が、ここにはあります。控えめに言うと、時々現れます。

自分にとって野球部の最後の試合のあの一日は特別だったし、今も特別だ、ってことを知ってるから、でしょうか。どうしてもクラブ活動に必死になってしまう連中に親近感が湧きます。そういうことだろうか。

いや、なにか違う。
きっとそんなのだけじゃなく、ここに来たら、わかる。
誰が見ても おおお…… と呼吸が止まってしまうような時間が、ここには、現れることがある。
そのなぞを探りに、明日客席に座ります。



写真は琵琶湖の北の端っこ。
ただ水がたまってそのふちに木が生えた、とだけは言いたくない不思議の共存がここにもあります。と思えてしかたない。
携帯電話を忘れてきてしまった。つい先日。どこかに。
でも親切な知人にすぐ見つけてもらった。

以前はいやいや持っていたものでも、長い間持っていると、それがなくなると不便に感じるものだ。
不思議。「身体の時代」「身体が問題だ」「身体にきづきを」そんなことをよくきく。身体が現代社会の機械文明に支配され歪んでしまった現代人。そこから脱却するために身体の再確認を、……なんていう前にアーチストは携帯電話をトイレに忘れてこないといけませんな。

哲学する頭脳とは別に、プラグマチストなわたしのハートはとっても喜んでます。

「にちにちのともににちにちのたよりを」
公演会場になる福井市、大衆館。夕焼けです。
北海道アフタートーク

ちょっと前のことになるけれど、北海道にいってきた。「道東演劇祭」。

釧路、帯広、北見の三つの都市でがんばっている三つの小さな劇団が一箇所に集まって、二日間で三つの芝居を上演するのだ。北見の劇団動物園スタジオはもと金物屋さんの建物。いまはきちんとブラックボックス。私はそれぞれの芝居を見た後のアフタートークをする。



いい感じの小さな小屋。

役者の小さな仕草に笑ってくれる、暖かいお客さん。

皆きちんとした社会人として働きながら、演劇をやっている、そういう役者たち。スタッフたち。自分たちの手作りで改装した小劇場。京都ではお会いできない年配の大人の役者が、大人気なくお芝居をがんばっている。

もちろん旅先は感じやすくなっているし、見たもの聞くものを数パーセントはうつくしめに受け取ってしまう傾向は知っているけれど、なんだろう。その狭い小さな空間によりあつまってくる意志、意志の群れ、そういうものが僕の心を打ったのでした。いいなあこの空気。

ああ。演劇ってこうだった。小さいところで、息遣いがせまる狭さで、なんだか世間のマイナーな位置で、(失礼)それでも、いやそれだからこそ、誰にも知られない(失礼)宝物をこっそりつくったりみせたりしてるんだ。

失礼。失礼失礼。だけど正直なことを言えば、やはりマイナーな場所なのに人が来たいと思ってやってくる、そこに「うそのなさ」を感じてしまう気分がどこかに私の中にあるからかもしれませんね。この感動は。それがもしかしたら僕の演劇好きの核なのかもしれません。



写真はアフタートークのひとコマです。

帯広の演研の演出家、片寄晴則さんと。



米作中心じゃなく畑作中心の田園の風景は大地がゆるやかな曲線で空と境目を作ってました。そんな街は家と家の間隔がやっぱりちょっと広めのようで。塀が低い。ように見えました。

また行くでしょう。また行きたい。いや行く。

今度は作品を持って行きたいなあなどと 白い雲に祈って。



ああ。出会いを感謝します。と露天風呂の白い幹の木に祈る旅。
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