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戯曲の講読、上演許可の連絡などは office白ヒ沼 までどうぞ。
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大阪・心斎橋はウイングフィールドでの上演が、無事に終了しました。
ますますさまざまな人たちとの出会い。さまざまな人たちが学習会では発言され、さまざまなメディアの方に取材を受け、私たちはますますしっかり心強く、しっかり気持ちを受けとめて、芝居を終え、話し合う場を終えることになりました。
私たちは今回のこの上演を動画撮影しました。しっかりとyou tubeに公開しようと思います。
この作品が、どれほどか、「禁止しないといけない作品」と見えるのか、しっかりと世界中の人に見てもらいたい。そして、その目で、「禁止はふさわしいのか」を確かめてもらいたい。そして、なにが起こっているのか、認識してもらいたい。そして、この事態になにをしたらいいのか、自分の問題として考え始めてもらいたい。
そう思っています。

そして、福井県の、演劇部の高校生たちに、この大人たちが大人げなく訴えている様子を、見てもらいたい。けっして見栄えのいい大人たちの様子ではないでしょう。大きな声でのどをからして。床をころげまわって。汗をかいて、小道具につまづいて。けれど、私たちのような大人がいることを、想像上の生き物なんかではなく、はっきりとしっかりと、いま、ここにいることを、感じてもらいたい。ありありと。きみらのやった演劇は、間違ってはいない、と主張して身を張ってうごく大人の様子を、目撃してほしい。君らの演劇は、君らの表現なんだから、尊重されるべき価値があるのだ。そう私たちは確信しているからこそ、上演したのです。わざわざ、それを訴えたくて、福井だけじゃなく、愛媛や大阪まででかけたのです。そして、それを見たがる大人たちもいて、だからやったのです。見た人たちは、まちがいなく、「これは、まちがっていない」と感じたのです。くちぐちにそう言ってくれたのです。これを禁止した大人たちの方こそ、どうかしている。そう口々に言ってくれたのです。自信を持とう。あなたたちの表現は、すばらしく、価値のあるものなのだ。傷ついたあなたたちは、決して傷つかなくてよかったのだ。傷つけたほうが悪い。傷つけた大人たちが謝るべきなのだ。

そして、福井県の顧問会議の教員のひとたちにも、見てもらいたい。きっと上演会のことも、学習会のことも気にしていながら、教育委員会からの監視がこわくて見にもこれなかったあなたたちに、見てもらいたい。ネット上ならこっそり見れる。こっそり見たらよろしい。そして、自分がなにをどうしたらよいのか、子どもたちを傷つけたままにしている自分は、なにをなすべきか、考える時間をもってもらいたい。考えるくらいは勝手で自由なのだから、そこは考えてもらいたい。

問題は、ちっとも片付いていないのです。大人たちが自分たちの都合で平和な様子でいられたらそれでいい、と思うのは勝手な都合で。
片付いていない、と考える人たちがまだこれからも動きます。私たち以外の上演の動きが次々と起こります。
日本語だけでなく、英語でも、上演は始まります。

ウイングフィールドの熱がさめやらぬ、今週末、はやくも大阪、梅田のすぐそばの中崎町で、さっそくドラマリーディングは行われます。冬のあいだに富山で。そして次へ、次へ、と計画が発表されるでしょう。

禁止した大人たちが心配したような、運動に立ち上がったわれわれが、ネットでバッシングされて大けがするような事態は、まるっきり起こってません。上演した張本人の鈴江俊郎、玉村徹は、堂々と運動しています。堂々と胸を張って、自分の権利を主張する者には、小心者のネットサディストたちは小心だから手を出せないのです。そしてむしろ、自分の権利を主張する者には、おおぜいの賛同者が身を守ってくれます。大勢の人たちに支持されて、私たちはあったかい気持ちです。
運動は、さらに、広がるでしょう。禁止する側の大人たちが言う「さわぎ」はまだまだ続きます。けれどこの「さわぎ」は、日本国憲法にもきちんと書いてある、権利を守るための「国民の不断の努力」なのです。権利をおかされてもだまって平和を優先する、その平和、平穏は「奴隷の」平穏だと、私は考えます。私たちは奴隷じゃない。
そして、権利の侵害を前にして自ら率先して黙ろうとするそのようすを、「全体主義」の態度だ、というのです。全体主義、ファシズムは、けっして上からの権利の押し付け、強権だけでなりたつものではありません。日本でも、ドイツでも、イタリアでも、すすんで権力に迎合した民衆の側の動きが、つくったのです。大衆の支持があったからこそ、ファシズムができあがったのです。
いま、私たちの時代は、たいへんまずいことになっています。いま、私たちは忖度、沈黙がここまで進行していることを身をもって体験として知りました。もはや空気を読んで、同調して、黙っていてはいけない時期です。大きな船がけっこうなスピードで動いていると、エンジンを止めただけでは簡単に止まれません。気が付いた時にはすでに遅いのです。
私たちは、いま、ひとりひとり、問われています。

私たちは、まだまだ「さわぎ」ます。
このさわぎに、大勢の人たちが参加することを、よびかけます。
学習会に来た人たちに、私はお願いしたのだ。
「この作品のドラマリーディングを、あなたの手でやってください」と。
演劇人でなくてもいい。上手とか下手とか、本来、演劇は関係ないはずなのだ。
思いがあれば、それが感動のもとだ。
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