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ゆがむ風景
瀬戸内海の風が湿気を払ってしまうのか、ずいぶんさわやかな空気に感じる、夏の松山。電車で走る窓からうつすと、風景はゆがんで画像に定着される。その不思議。
世界は見る目によっては違って見える。
私には世界は残酷な末路に向かって進もうとしているように見える。他の人にはそう見えないのだろうけれど。他の人の目にはこれくらいに見えているのじゃないか?人と話すとずれる。そのたびにそう感じる。いや、他の人には私の見え方のほうがこちらなのだ。知っている。
食い止めるのは私たちで、私たちが動けば食い止めるのは可能なことで、それは過去の歴史もそう証明しているのだが、だって、動かしているのは私たち人類なのだから。自滅の道、といってもよいのだろう、この今のいろいろな問題。皆が知っている新聞の見出し。
人が自分の損得を優先し、自分が生きていくことだけを優先し、それが人間よ普通のことよ、と開き直って家族のことだけ考えると、悲しいかな類としての人間というのは機能不全に陥る。皆が、自分の家族が飢えないように、って考えて、そういう「善意」が戦争を引き起こしたのをもう忘れている。家族を超えて、類としての私たちはどうするのか。
 
そしたら、
「演劇で食っていく」ってことはそんなに大切なことか?
食っていくことを優先したら質はおいてきぼりになる。ってことに悲しみを抱くふつうの感性はどこにしまっておけばよいの?
 
いや、私が見ているのはこんな風景なのだ。それはそれなりにスリリングで楽しいけれど。
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